今までのイタリア通信

☆ 秋の味覚☆  12/10/98

急に秋らしくなってきたと思ったら、風邪をひき、今日は病み上りの日曜日。久しぶりに秋の味覚を求めて マレンマ地方にドライブした。ローマから北へ100Km、オルヴィエトで高速道路を下り、一路「栗の里」へ向かう。山の中腹、地下の蒸気を利用した「地熱発電所」を横切り、暫く行き、「栗」に因んだ土地の名が目に付くようになると、沿道筋から山間にかけて全てこれ「栗林」となる。長雨あけの日曜日ということもあって、栗拾いの行楽客の車が目立つようになり、さて何処に停めようかと迷ってしまう。丁度、寒村の入り口に小さな「公園」が見えてくると、最早待っておれず、栗を踏んで車を停める。栗拾いに夢中になる。と、一陣の風と共に背中にドサッと一撃を喰らい、その痛さに顔をしかめ、幹に目をやる。3〜4mの太さからみても数百年は優に越える樹齢と思われる。アッと言う間に10Kg程の収穫となる。

栗の里を抜け、今日のお目当てであるレストランを探す。目的地まで来ていながらそれらしいものも「看板」も見当たらず、電話をしてみる。通り過ぎていることがわかり、道を戻り探し当てると、周りには4〜5軒民家があるのみで、レストラン表示は扉口にある限り。実に静かな忘れられた山間にある300年程経た農家作りである。こんな山の中でこの地方を代表する料理が食べられるのであろうか、少し心配になる。
扉を開け、中へ入るとこれは別世界。先程も電話に出た主人がにこやかに席へ案内してくれる。「そうです。イタリアでも珍しいほど小さなレストランでしょう ?」なるほど壁面は「美術品」で飾られ、全くすき間がない一部屋で18席しかない。これでミュシュランでも星が付くとは ? 客は私と家内だけである。さて、何が食べられるのであろう。

Sfogliatine alle erbe di campo
= 野草(雑草?)をテリーヌ風にし、薄いパイで仕上げ
Gnocchi di ricotta con crema di funghi con lamelle di tartufo nero
=薄切り黒トリフ(!!!)をフンダンに乗せたポルチーノキノコ入りニョッキ
Ventaglio di petto di piccione in salsa agrodolce
=野鳩の胸肉をローストビーフ風に焼き(従って肉の中心は半生)甘酢仕上げ

これに前菜、デザート、ヴィーノが付いたが、どれをとっても素材を使いこなしているとか、料理のバランスが良いとか、洗練された料理とかいうだけでなく、ここまで来ると、最早「芸術品」に近い嗜好が感じられた。燭台のローソクも終わりかけ、カッフェの注文で主人に聞いてみた。「いったいどんなコックがこれを創るのですか ?」すると扉が開き、30歳台半ばの料理服の女性が顔を見せた。「私の共同経営者で、私の家内です」と、正に絶妙のコンビネーションであった。

  ☆

☆眠る中世の村・BEVAGNA・☆

Assisiからほど遠くない このUmbria地方に中世の村・ベバーニャ(BEVAGNA)が眠っている。いわゆる観光ルートから少しはずれているため、普段この村を訪れる人はほとんどいない。
ローマ時代に巡らされた城壁内に今も村の大半の住人が住み、そして2千人を越えることはないという。従って城壁内の歴史が中世時代(9〜13世紀)に至るまでにはローマ時代の香りを残しつつ、もはや手を加える余地が無いほど出来上がってしまい、それ以来眠りについた。
おそらくルネッサンスもなく近代もなく、ズーッと今まで来てしまったようなたたずまいである。ところが、不思議なことに一年に一度だけ目覚める時がある。Mercato di Gaite(gaiteの本義は中世時代の村の区画を意味する)と呼ばれる「時代祭り」である。毎年6月の最後の週と決まっており、この時は村全体、しかも全員参加で「中世期の生活」になるのである。
毛織り麻織り、鉄鍛冶、紙漉き、ガラス吹き等の職人達に入り交じって、あちこちに「模擬店」とは思えないほど「本物の飲食店」が建ち並び、大人も子供も当時の衣装をまとい、この一週間というものは現代を忘れて中世の食事になってしまう。もちろん毎日代わる代わる中世の「出し物」が村の劇場にかかり、沢山の人を集める。
どうです、この時一度いらっしてみませんか。ただ泊まるところがほとんど村の中にはないので、近郊の「農家民宿(agriturismo)」に泊めてもらうと良いでしょう。

Agriturismo"Il Calesse" loc.Colle S.Andrea tel:0742-361455
Agriturismo"La Fonte" loc.Fioggia tel:0742-360968
Agriturismo"Le Grazie" loc.Madonna delle Grazie tel:0742-360350
Agriturismo"Il Poggio dei Pettirossi" loc.Pilone tel:0742-361744
Agriturismo"Il Rotolone" loc.Rotolone tel:0742-91992


◆修道院の地震◆
 97/11/23

上の写真が地震前までのヴェネディクト派女子修道院の建物。下は同じ建物の地震後。今回の「ウンブリア地方地震」の震源地(cesi) に位置していたため、完全に建物は崩壊してしまい、未だにシーツ一枚取り出せない状況である。

99/10/13
地震2年後、同じ場所に再建されたヴェネディクト派女子修道院(再建を祝うミサの情景)


◆言語形成期◆ 97/10/12

今日は「ローマ日本人学校」の「文化発表会」(学芸会)があった。 普段は余り聞こえてこない「日本語」が聞け、子供たちのイタリアにおける「文化」を知る機会でもある。日頃は校医として接している子供たちが、皆活発に知的活動を見せてくれた。
小学校から中学校年齢の成長を見ていると、「味覚形成期」(イタリア通信◆食味の形成◆97/4/2参照)に続いて次に特徴のあるのは「言語形成期」だろう。一般に14〜16歳頃である。10歳前後までに親しんだ言語がその後の成長過程で使用される言語に置き換えられてしまうケースはよくある。従って「日本語」であろうが「外国語」であろうが、この時期までの使用言語はまだ「定着」していない。しかし、14〜16歳頃には正に「言語形成」がなされ、その後の成長過程で現れる「人格形成期」に引き継がれる。
言語形成期の特徴は「言語の定着」である。同じ日本語でも、この時期に何処でどのような言語環境であったかがその人の生涯の言語生活を左右するようである。従って、極端な話としては、偶々、親の仕事の都合で数年この時期に生活の場所が変わり、後に元の場所に戻ったにもかかわらず、ほとんど生涯にわたって、その時期の「方言」が忘れられないという例がある。
今日の文化発表会を観ていて、ローマに居ながらというか、あるいは限られた小集団だからこそなのか、日本語形成が着実になされ、同時に「日本人文化」の継承が為されているのに感心した。

◆診療奉仕◆ 97/9/28

長いヴァカンスの季節が明け、また日常生活のリズムになり、間もなく秋を迎えようとしている。夏の思い出を一つ書いておこう。
ローマから北へ150km程山へ入るとウンブリア地方となる。アッシジに程近い一寒村の一隅にベネディクト派の女子修道院がある。1300年代に今の建築が出来上がり、それ以降歴代受け継がれてきたこの女子修道院はいわゆる観想修道会(世俗社会と交流を絶ち、修道院内で修業し、生涯をそこで過ごすキリスト教修道会)で村の人と言えども誰が何人いるのかそしてどういう生活をしているのか計り知れない世界である。今年はこの修道院で避暑を兼ねた診療奉仕が私の夏でした。
一時期は100人以上の修道女もいたといわれれるが、今は20人足らずとなり、しかも皆50代以上の年齢となり、ほとんどの修道女がもう何十年間も外部の世俗社会に触れたことがない。修道院長の他2名の修道女だけが外部の人間と会うことが許されている。従って、健康を害してもかなり病状が悪化するまで、外部の医師を中に入れることがなかった。しかし10年ほど前から修道院の一部門戸を開くようになり、修道院内にキリスト教信者やその家族を泊めるようになったため、今回の診療に結びついた。
「祈りと労働」に明け暮れる修道女達の生活は誠に快活で健康にあふれる毎日だが、やはり過労と加齡に伴う傷害を避けることが出来ない。2人3人と治療していくうちに、彼女達は実に勉強家であることと、修業生活の中で大学を卒業している人が何人もいるのには驚いた。
食事を彼女達と一緒にすることはなかったが、毎食の美味しいことには目を見張る。ほとんどの食材が修道院内で生産されたものなので、種類は決して多くないが、その味の純粋なこと、正に手作りの味であった。
20日間の治療が終わり、帰り際に「おみやげ」といって、大きな段ボールの箱を車に積み込んでくれた。久しぶりのローマに帰宅し箱を開けると、各種の果物瓶詰め、オリーブ油、乾燥豆、じゃがいも、ワイン、リキュール、蜂蜜、そして自家製の化粧品まで入っていた。

◆春の味覚:ソラマメ◆ 97/4/18

春は花の季節と同時に野菜の季節でもある。次々と新鮮な野菜類が市場には登場するが、毎年この季節になると何軒かの八百屋に張り紙が出る。ソラマメの中毒症である。
この疾患は「ファーバ豆中毒症」favism/favismo と呼ばれ、ソラマメの一種favaを生食した直後に起こる溶血性発作で知られる。ソラマメに含有するpytimidine aglycons という毒成分が原因で赤血球の代謝を阻害し、溶血反応を起こす遺伝性溶血性貧血疾患である。今もなお、地中海地域に見られる稀な遺伝性疾患なので、日本の方には無縁の病気であるからどうぞ御心配なく。
ところで、生のソラマメと聞くと直に生臭さを想像されるであろうが、若いソラマメは決して嫌な臭いどころか微かな甘味があり、正に春の味覚である。ここ中部イタリアではこれに羊の乳から作るpecorinaチーズを添えて食べる。このチーズはかなり癖が強いが、生のソラマメと一緒だと実に美味で、一度この味を覚えると病み付きになる程である。 しかし初めての方は大抵食べ過ぎてしまい、お腹をやられるので気をつけること。

◆玉手箱◆ 97/4/8

久しぶりの旧友に会った。暫く話しているうちに、彼はもう25年間一度も日本へ帰っていないことがわかった。「どうして」という問いを発する間もなく、「わかるでしょう」という気配を薄笑いの中に読み取った。そしてお互いに無言でうなずいてしまった。
「竜宮物語」に出てくる浦島太郎の「玉手箱」を時々夢に見る。
日本を離れて暫くぶりに帰国すると、成田の地に降りた瞬間からかつて成田を発った時に止まった日本の時計が動き始める。そして友人達と会うと一瞬滑稽な感じを味わう、どうして彼は爺臭くなったのだろう、彼女はもっと美人じゃなかったろうかーーー。 しばらくは時計の歩みに戸惑い、やがて灰色の疎外感に包まれる。 あの人もこの人ももういませんよと言われ、やがて黒っぽい孤独が忍びよってくる。あれはどうしただろうと言えば、皆言葉なく私を見る。
乙姫様は実に心遣いが優しかった。浦島太郎がやがて「玉手箱」を開ける時を知っていた。玉手箱を開けた瞬間、翁と化し、彼の忘却を助け、憂いを癒してくれたことだろう。
久しぶりの旧友に会い、私も急に「玉手箱」が欲しくなった。

◆食味の形成◆ 97/4/2

今日もまたアトピー性皮膚炎の新患がくる。その母親にまた食事の仕方を教えねばなるまい。
人間の成長過程で生後一早く完成するのは消化器であろう。即ち離乳食に始まり、固形食を受け入れるようになると、次第にいろいろな食物を消化し、正に血となり肉となると同時に、一つ一つの基本的な食物の食味を記憶する。この味覚記憶過程は7〜8才までに出来上がってしまうようだ。この間に食べ覚えた食味は生涯忘れることはないだけでなく、この期間を過ぎて、10代、20代、30代と年を経て行くうちに数々の食事経験をし、例えそれらに慣れたとしても、40代以降になると必ずと言ってよいほど、7〜8才までに憶えた食味の食事に帰っていくようだ。 この味覚記憶過程は甘いとか塩辛いとかという味覚の好みだけでなく、食事内容の一つ一つの食味を含んでいる。例えば、醤油、御飯、味噌汁を例にとればわかるように、各家庭で「おふくろの味」がある。こちらで比べるならば、オリーブ油、チーズ、バターとなるだろうか。 なにしろ離乳食のメニューとして直に出てくるのが生のオリーブ油やパルメザンチーズだから、その時に憶えた味は生涯ついてまわると言っても良いだろう。
しかし誤解ないように記しておきたいのはこちらの離乳食の基本食は野菜スープに始まる野菜食であって、決して動物性蛋白質を中心とした食事ではない。この点は日本でも変わらないはずだが、近年この基本が崩れてきている。栄養中心信仰のためか、若いお母さんは子供の成長を願う余り、離乳食以来未だ出来上がっていない消化器に高栄養、高蛋白質の食事を与え過ぎてしまい、過敏な消化器にしてしまう。一度過敏な消化器となってしまうと、その結果、喘息や各種の皮膚炎(アトピー性を含む)を引き起こす。さて今日の母子はどんな食事をしているだろうか。

◆お呼ばれ◆ 97/3/30

修道院の食事に招かれました。ローマには数多くの修道院がありますが、 昨日行きましたのは、フランチェスコ派の総本部でして、ローマ市内の中央にあります。私の患者さんの一人、日本人神父の治療が一通り終わり、そのお礼にというわけで修道院長が私達を食事に招いてくれました。私達というのは私の家内も一緒ということですが、男子修道院内で修道女はもちろん女性が食事の席に来るということは異例のことだそうです。約30名程(2/3は世界各地から来ていて、40代以上がほとんど)の神父が一堂に会し、各自壁を背にし、テーブルに着いたときには、映画の世界に間違って入ってしまったかの様な錯覚を覚えました。食事の祈りに先だって、修道院長から全員に私の紹介があり、着席すると間もなく若い修道士が各自に食事を給仕し始めました。最初の料理は Pasta corta con tonnarello(マグロ味ソースのマカロニ),二番目の料理はPorpetta di manzo(ミートボール), Ripiegato di bitello(子ウシの卵包み焼き),それにMelanzane(茄子),Zucchine(ズッキーネ),Patate(ポテト)のオーブン料理。更に自家製のコロンバ(パネットーネ)と季節の果物。勿論、赤と白のワイン付きですが、普段は白ワインだけとのこと。見ていると次々と着席している神父達が席を立ち、調理場から料理を運んだり、片付けたりして、ほぼ全員がなんらかの手伝いを自然にしていることに気づきました。最後のコーヒーに至っては修道院長自ら全員に配って回りました。食事の終わりの祈りが終わると、次々と調理場に入って行き、全員で和やかに食器洗いや後片付けで、末席で皿を拭いている修道院長の姿が印象的でした。

◆最近気になること◆ 97/3/22

一体何を食べていたのだろうかと思われる患者が時々来る。まず日本から来て間もない方のイタリア料理の食べ方が間違うのは仕方がないとしても、滞在3〜5年の会社の駐在員に最も消化器を中心とした疾患が多いのはやはり外食の結果、つまりイタリア料理の食べ方の誤りからきていると思われる。確かにグルメブームなのか、最近イタリア料理が好きな人が増えている。しかも一頃と違ってイタリア料理の知識も格段に増えている。その上、本物指向が強いとなると、旅行業界も便乗し、より高級なより美味な料理をと競争する。その結果は言わぬが花ということになるが、それにしても「イタリアにはお野菜がないのですか」とくると、やはり一言言わざるを得ない。

どんなに食文化が発展しても、我々の消化器はそれに容易にはついていけない。なにしろ現代の様にこれ程、食生活が豊富になったのはまだやっと50〜60年のことである。イタリアですら一昔前は鳥肉や羊肉を食べたのはお祭りの時がせいぜいで、年に2〜3回と言うのが普通だった。おそらく日本人の多くもかつては似たような状態ではなかったろうか。そして長い長い人間の食生活の中心は比較的栄養価の低い、穀類、豆類、野菜類だった。この歴史のある食生活を尊重しないかぎり、当然病気になる。アンバランスな食べ方の結果、つまり高蛋白、高含水炭素、持続性アルコール摂取という高栄養高カロリーを続けた末に、全ての疾患が用意されている。どうも現代人は美味しいものは何でも健康に良いと錯覚しているのではないだろうか。そして何を食べても消化さえすれば良いと思っているのだろうか。

どんなに美味しいイタリア料理も3日続けばもう沢山と日本からの方は口をそろえて言う。何時でも前菜に始まり、パスタ、肉、魚、チーズ、菓子ときたら、誰でも食傷してしまうだけでなく、野菜等の入る余地はないだろう。これはあくまでも「お祭り料理」であって、これを毎日続けるなら、病気にならない方がおかしい。つまりレストランでのメニューの選択に問題があると思う。詳しいイタリア料理の話は別の機会に譲るとして、まず穀類、豆類、野菜類のメニューをお忘れなく。即ち如何なる豪華な食卓の場合にも、野菜が欠けては完全な食事とはいえない。一つの提案として日本人の場合、前菜として温野菜か生野菜をとること。地中海の太陽をふんだんに浴びて育ったイタリアの野菜類は種類も豊富なだけでなく、北方諸国と比べて非常に美味しく、また野菜料理も実にバラエティがあると言うこともお忘れなく。

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