☆ 与えられし人々 -序- ☆
人は一期一会というが、一臨床医として患者と対面するとき、言うまでもな
くそれは一期一会に違いない。しかし、それは単に偶然に患者として受け入れた
というより、それはあたかも天の配慮の下に与えられたとしか思わずにはいられ
ない。診療生活で出会う患者の中には、何年経っても記憶に残り、しばし診療の合
間に思い起こされる患者がいる。それは必ずしも治療が成功したとか失敗したと
か関係なく、むしろ私としては果たして治癒する病なのかどうかわからないで治
療していた中にある。患者は誰でも、病がどのような性質でどの程度であるかを理解する前に、何
時治るだろうかと聞いてくる。たとえどのように科学的にまた客観的に病状を説
明しても、何時治るだろうかと聞いてくる。医師は治療経験に照らし合わせ、病
気の予後を推測するわけだが、大半の病気は果たして予想したように治癒するの
かどうかは医師にもわからない。同じようなケースであっても、患者が別人なら
ば、同じように治るとは限らないからである。
つまり、現在の病気(現病)はその患者自身のものであるから、その人の体質、
生活状況、人生経験などが集合した中で発現していることを、まず患者自身に認
識してもらわざるを得ない。医師は誰でもそれぞれの専門分野における研鑽を積んできている。しかし一
患者に接するときには、単に病気を診るのではなく、病を通じてその病んだ身体
全体と対峙する。自らの臨床経験と技量を駆使し、更に自らの人生経験から得た
知慮で対処する。だが、常に生命の不思議に驚かされる。人は誰でも人生のその時々に病む時、その人自身の生活を反映して病むので
あるから、医師が患者を病人として診るときは、それまで生きてきた患者全人と
接する。と同時に医師自身もそれまで生きてきた人生の一時点で患者と接する。
従って、患者と医師とはそれぞれの人生の共有点で病と対峙し、治療することに
なる。新しい患者に接し、新たな治験を重ねる度に、私の自身の中で何かが触発され
る。患者自身の人格と病気から教えられる。時としてそれは単なる知識ではなく
、それ以上の何かを伝えてくれる。自らの未熟を想うと同時に、誠に生命の不思
議を感じ、天の配慮を想わざるを得ないのである。このような経験から、数々の病人の姿を思い浮かべるとき、、いつでもこれは
与えられた人々であったと思う。そうした人々の姿を記録に残しておきたい。☆
☆ 与えられし人々 1.鬱病 ☆ Gさんは24歳になる妙齢のお嬢さんである。彼女が初めて母親に付き添われてきたのは、冬の寒い日であった。
それまで母親の左顔面の三叉神経痛の治療をしてきたのが好成績を得たので、今度は娘の鬱病を治してもらえないかと頼まれた。ここ数年落ち込みが続き、精神科で治療を受けているとのことであるが、一進一退で、最近は薬の種類も量も増えてきたので、とても心配であるという。
うつむき加減に診療室に入ってきたGさんが顔を上げると額から顎に至るまでニキビと肌の荒れで、特に口の周りは酷く、誠に可哀想な面相である。なるほどこれでは鬱病になっても不思議ではないと合点する。聞いてみると、もう十年以上もあちこちの皮膚科にかかっており、色々な治療をしてきたという。そして今も抗生剤を使用中であるという。アトピー性皮膚炎の傾向も小さい時からあり、生理は痛みが酷く2−3日は寝込んでしまうという。
腹診をし、舌を診る。消化器の緊張が著しく、便秘気味であることは本人に聞くまでもない。どんな食事をしているのか聞いてみると、なんでも好き嫌いなく食べる方だが、チーズを好く食べるという。
精神状態は多少思いつめた表情が強い程度で、理解力は充分あることがわかる。そこでまず、このニキビと肌の荒れを治してみようと考え、現在の消化器の状態と食事の関係を説明した。そして、私の勧める食事法が守れるかどうかを確かめると、色々な薬物療法を既に経て来ているので、もはやこれが最後かもしれないという本人の覚悟が伝わってくる。
一方、付き添いの母親の方は一応納得したものの、半信半疑な表情が残っていたが、とにかく娘の食事には最低3ヶ月間協力してもらうことにする。 今日の診療の最後に、この治療を始めてしばらくすると、ほとんどの人が一度ならず失敗して現病が悪化することがある、その時は悪化する直前に食べた食事内容を反省してみると、必ず問題の食品が見つかるはずだということを付け加えておいた。それから一ヶ月ほどして、母親がGさんを伴わずに来た。私の指示した食事法通りの食事を続けているが、余り変化は見られないという。しかし、Gさんは間違いなく、薬と食事を守っているという。母親の心配そうな表情から、この療法が果たして奏功するのかどうか疑わしいという不安が読み取れる。言うまでもなく、母親の協力がこの治療では一番大事だということを強調しておく。
それから更に一ヶ月ほど過ぎてから、再び母親がGさんを伴わずに来た。多少変化が見られるが、まだニキビは消失していないという。何より気にしているのは、Gさんが友達と外食しても皆なと同じように食べられず、母親として不憫だという。こんなことで栄養不良にならないだろうかと心配だという。更にGさん本人は食事を忠実に守っているが、それでも2回ほど急に痒みが酷くなったことがあるという。
更に一ヶ月がたった。ようやく春を思わせる風が感じられる穏やかな日和である。母親に伴われて診療室に入ってきた女性がいきなり、私の両頬に大きなbacio(キス)をする。私が驚いて赤面する間もなく、彼女がGさんであることがわかった。笑みを浮かべているその顔にはもはやニキビがなくなっただけではなく、健康そうな美人に生まれ変わっていた。言うまでもなく、鬱病は完治していた。 ☆
☆ 与えられし人々 2. 重症腹膜炎 ☆ S修道女はスリランカ出身の34歳になるカトリックキリスト教修道女である。彼女を伴ってきたのは、同じ修道院に起居するM 修道女(日本人)である。
患者のS修道女は言葉少なに、英語でポツリポツリとこちらの質問には答えるが、どうも病歴がはっきりしないので、Mさんに日本語で一つづつ確認を取りながら、ようやく次の様子がわかった。
S修道女はこちらへ来て間もなく、腹膜炎症状が始まり、初めは結核感染を疑われたとのことである。その後、症状が悪化し、薬物療法の甲斐もなく、マドリッドの病院で排濃手術を受けたが、回復が思わしくなく、ローマで数ヵ月後、再度手術をしたという。こうしてすべて可能な治療はしたが、しかし、病状は回復する様子がなく、最早食事も儘ならない状態になってしまい、やっと歩ける状態である。また入院せざるを得ないが、治癒する見込みは少ないという。
触診してみると、腹部は手術の後も痛々しく、熱を持っており、痛みのため、触ることが出来ない。消化器の様子を聞いてみると、下痢が続いており、何を食べたらよいかわからないという。体力もかなり消耗している。問診しながら気がついたのだが、かなりの痛みにもかかわらず、精神状態は実に修道女らしく落ち着いている。
一通り診察が終わる頃には、これはとても私の手に負える状態ではないのでないかと思いつつ、ところがなんと答えたら良いものかと思案する間も与えずに、付き添いのM修道女のどうしても命を救いたいという情熱に圧倒されてしまった。彼女の真剣な眼差しに気を押されてしまい、自信はないが、なんとかやってみるかということになった。
まず、消化器の回復を図ることが先決と考え、細かな食事内容をM修道女に説明し、すぐに実行してもらう。幸いにして2週間後には下痢が収まってきたので、体力回復の感触を得る。次に使用中の抗生剤を切る準備を始める。まだ腹部は触れないほどの痛みがあるが、部分的には触れるので、灸治法を試みる。こうして数ヶ月は瞬く間に過ぎた。この間、実に辛抱強く二人の修道女は常に一緒に診療に来た。祈りと労働に鍛えられた彼女らの熱心さには頭が下がる。
間もなく夏休みとなり、私も一時帰国を考える時がきた。ところが、S修道女の様態はまだ安心できる回復軌道には至っていない。そこで、やむなくM修道女に食事法、灸治法その他緊急時の注意など詳しく教え、彼女が看護婦になって治療を続けてもらうことにした。
一ヶ月ほどしてローマに戻り、すぐに診療に来てもらった。驚いたことにほぼ腹部炎症が収まっているだけでなく、痛みもかなり和らいでいたのである。その後は、積極的に治療を行い、終に年を越す頃には完治したのである。
東洋医学的治療が功を奏したわけだが、S修道女が私の治療を信頼して忠実に従ってくれたことと、M修道女が看護婦となって献身的に治療にあたってくれたことが命を救う大きな助けとなった。しかしもし修道女でなかったならば果たして同じ結果を得ることが出来たろうか未だに疑問である。☆
☆ 与えられし人々 3. Prf.の上腕痛 ☆ ローマ大学医学部の恩師の一人であるV教授から電話が入る。
スポーツ好きのV教授はヴァカンスでヨットを操作しているときに右上腕に痛みをきたしたという。おそらく捻挫を起こしたと考え、休暇後大学に戻ると早速同僚である専門医の治療を受けたという。整形外科、神経内科、麻酔科とそれぞれ試みたが、どうしても上腕痛が治らないので、私に連絡してきた。
まずは私の診療所に来ていただき、右上腕の動きと痛みを観察する。確かに局部痛は顕著であるが、筋肉の動作と同調していない。ということは捻挫ではなく、神経根の異常が考えられる。そこで、頚部を探ると一箇所だけ左右のバランスが崩れている。
そこで、患者である教授に上腕の痛みのある箇所を確認してもらい、頚部に針を一本刺した。その直後、もう一度痛みのある箇所を確認してもらったところ、どこにも痛みがないという。
教授は不思議そうに、これはミラコロ(奇跡)だという。 私は期せずして、神経生理学的機序を説明することとなり、それ以来、教授はいろいろな患者を紹介してくるようになった。☆
☆ 与えられし人々 4、上部消化管切除後の慢性下痢 ☆ トスカーナ地方の海岸に住むジョヴァンニさん(43歳イタリア人男性)が連れて来られたのは、4年前の復活祭の頃である。その日は例年になく蒸し暑かったことを覚えている。
長い間、胃十二指腸潰瘍を患い、3ヶ月ほど前に全摘出手術を受けたという。それ以来何を食べても下痢が止まらず、文字通り骨と皮の状態となり、フラフラした歩き振りである。話しているうちに、彼は敬虔なキリスト教信者であるばかりか、兵役拒否の若者(イタリアは徴兵制である)を受け入れていろいろな福祉活動をしていることがわかった。
消化器の手術は成功したが消化不良となってしまい、まったく何を食べても消化吸収できないという状態である。このまま往けば死を迎えることは確実なわけで、深刻な事態である。再入院すれば、人工栄養補給が待っているだけである。
ところで、診察が終わる頃、こんなことを言い始めた。もはや何を食べても身体が受け入れないのは手術以前と変わらないし、特に驚くことはない。しかし、どのように注意して食事をしても本来の神の恵みが受けられないのが精神的にとても辛いと言う。 ということは、日々の食事を心から神の恵みとして祈り、その恵みを一心に受けることを生きがいとしてきたのだ。
彼は食事に対して敬虔な気持ちを持ち続けてきたわけだが、残念ながら彼の食事は消化器に合わなかったと思う。このように消化器官の機能器質共に変化してしまっている場合、パソコン用語で言うならば、一種の初期化をしないことには元に戻らない。
そこで、食事内容と消化器の関係を詳しく説明しているうちに、幸いにして家庭菜園があることがわかったので、毎食の作り方を覚えてもらった。
2週間程すると、彼から電話が入り下痢が止まったと言う。それから本格的な治療に入り、3ヶ月後には、頑固な下腹部痛も和らいできた。しかし、時々激痛を伴った下痢をするという。そんな時はまた振り出しに戻った食事に切り替えてもらった。6ヶ月も過ぎようとする頃には、もはや私よりも食事内容と消化器の関係についての知識は詳しくなり、すっかり生きる自信を取り戻しただけでなく、神の恵みに心から感謝出来ることを喜んでいた。☆
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